| 乗り潰し線区: | 東北新幹線、大湊線、津軽線(中小国-三厩)、奥羽本線(秋田-大曲、横手-新庄)、田沢湖線、北上線、羽越本線(新津-新発田)、上越新幹線 |
1997.8.5(火)〜13(水)
| 就職が決まって、これからは修論に向けて研究に励まなければならないが、今年は学生最後の夏休み。社会人になってからも旅行に行くつもりだが、どうなることか分からぬ。これが最後になる可能性も十分にある。そこで、今年も旅行に行くことになった。 ただし、今回は一人ではない。大学の友人、O氏と一緒なのだ。鉄道を使って東北地方を旅行することにした。夏休み限定で、「東北ユースきっぷ」なるものが発売されていることを、O氏が「スピリッツ」で掴んだのだった。このきっぷは、2人、3人で東北を旅行する人のための切符で、学生証があればすぐに購入可能。1人当たり14000円で10日間有効。「東北ワイド周遊券」と同じ範囲を新幹線も含めて乗り放題で、行き帰りの区間も新幹線利用ができるという、かなり大盤振舞の切符である。私は飛びつくように計画を進めてきた。 が、問題は、O氏はとにかく宿に泊まるのが嫌だ、ということであった。海外旅行経験の豊富なO氏は、「日本の物価は高い」「YHでも一泊3000円くらいかかる」「ヨーロッパなら1000円はしない」「一泊2000円以上出すつもりはない」と、譲らない。ならどうするのか。「テントに泊まる。ダイエーに9800円のテントがある。それを買えばかなり安く行けるぞ」、ということだった。それでも悪くないと思った私は、やはり飛びついた。出発3日前の土曜、 テントを買いに神戸まで出かける。既に9800円のテントは重すぎて使い物にならず、軽いのなら最低2万はするということを分かった状態であった。2万を大きく割る商品を期待したが、いいのがなく、2万円前後の品を選んだ。最初はO氏が買うつもりだったようだが、結局買ったのは私であった。 |
19:10まずは阪急で大山崎へ。10年以上も前の型のリュックなもので、恥ずかしい。
19:25 山崎での4分接続を見事に成功させ、予定よりも一本早い電車に乗る。
19:40 京都駅着。新装なった京都駅の一番ホームへ。ここでスタンプを押す。改札を出ると、O氏は既に来ていた。
新装なった京都駅のみどりの窓口で、早速「青春18きっぷ」と、「大垣夜行」で日付が変わる刈谷までの切符を買うために列をつくる。サーバーの数が足りないため、これがなかなか回ってこず、20分近く待たされる。予定通りに待ち合わせていたら、8時半の新快速には間に合っていなかった。
20:30 新快速長浜行きが発車。通勤時間帯で座れないが、草津あたりで席が空く。
21:24 米原着。跨線橋を歩かされて、大垣を目指す。研究をおっぽり出してきた不安感が旅行直前には付きまとっていたが、この辺りまで来ると、もう学校のことは忘れていた。
O氏は以前、「大垣夜行」に乗ったときに、「この車両はハニカム構造で…」と、大声で独り言を言う、頭のおかしい「鉄」に遭遇したことを話し、「あまり時刻表の話はしないでおこう。そういう奴が話し掛けてきたら嫌だから」と言われてしまう。
22:03 大垣着。この列車は豊橋行きであるが、大半の客がここで降りる。といっても当駅下車客はほとんどおらず、大半は5番ホームを目指す。
5番ホームは、相変わらず臨時の「大垣夜行」を待つ客で賑わっていた。といっても、座れないほどではない。これは既に経験済み。
40分ほどの時間の間に、O氏は買い物に出かける。北口に「サンクス」を見つけたらしい。
22:40 大垣夜行が入線。デッキ式2扉の165系の車両で、ボックスがたっぷりあった。そのため、待つまでもなく余裕で座れた。
22:54 大垣発。
「大垣夜行」は空いていた。名古屋では、いつもなら通勤客で通路まで埋まるが、今日はそれもなく、浜松、静岡でも乗ってくる客はなく、1人1ボックス占領ネをしてる客も少なくない、という状態だった。
4:47 相変わらず中途半端な時間に東京に降ろされ、我々は途方に暮れる。朝メシの調達をと、私の過去の経験から御徒町のローソンを目指す。
5:08 御徒町着。記憶が確かでなく、探すのに手間取った。それにしても朝だと言うのに、もわーとした蒸し暑さがたまらなかった。
5:44 東京駅に戻ってくる。もうちょうどいい加減な時間であった。早速、「東北ユースきっぷ」を買うために改札口を目指す。最初八重洲側に降りようとしていたら、O氏が「八重洲は東海の管轄だから、丸の内にいかなあかん」と、教えてくれる。とにかくこの駅でのJR−EとJR−Cとの縄張り争いは、利用者不在と言って間違いなく、挙げ句の果ては、八重洲口でしか降りられないJR東海の「新幹線TEXきっぷ」なるものまで発売される始末。そういう体質をこのきっぷで嫌というほど知らされてきて、神経質になっていた。
5:50 丸の内口のみどりの窓口で、念願の「東北ユースきっぷ」を購入。学生証を提示したが、あまりしっかりと見ていない様子。「旅行中には学生証を携帯して下さい」とあったが、一度も提示を求められたことはなかった。二人で10日間、新幹線も乗り放題という、超大盤振舞のきっぷだから、チェックが厳しいと思っていたが、かなりいい加減であった。
朝一の新幹線は既に来ている。自由席の、しかも禁煙車は車両のいちばん端っこで、行くのに苦労させられる。座席はあるにはあるが、ろくな座席がない。後ろ向けの座席が目立つ。なぜだ、と思ったら、3人掛けの座席は固定式の椅子になっていた。既に二人掛けの席は全て埋まっていた。この列車は12両も連結されているのに…。朝一で、大輸送力を誇る列車とは思えないほどの混雑ぶりであった。それと、国鉄時代の設計、完成である200系の古さが目立った。
6:00 いよいよ出発。この時点での、私の未乗線区No1だけに、わくわくする。
6:06 しばらくは地上を走り、すぐに地下に潜って、上野に到着。上野駅はだだっ広い地下ホームで、照明は薄暗く、人は少なく、東京地下駅(横須賀線)のようにがらんとして殺風景なところであった。大宮までは、在来線顔負けのノロノロの速度で走る。
6:26 大宮着。ここでようさん乗ってくる。
大宮からは本領発揮。速すぎて、上越新幹線との分岐部付近はどうなっているのかよく分からなかった。又、新幹線と並行している「ニューシャトル」はしっかりとチェック。あまりに速すぎて、駅から駅までにかかる時間が15秒くらいであった。
が、それを過ぎると車窓は田舎の風景が広がり、後はそれが延々と続くだけであった。そのために当然ながら眠気が私を襲った。
減るだろうと思っていた宇都宮、郡山で大量に乗ってきて、立ち客が現われるほどであった。「郡山―仙台」の定期を持っている女子学生もいた。東京から離れれば離れるほど乗客が減るものだと思っていたので、何故?と嘆かずにはいられなかった。座れているからどっちでもいいのだが、空いている方が気分がいいからいつもこう思うのだった。
8:06 仙台では当然大量に降りるが、それと同じくらい乗ってきた。
この「やまびこ」は、仙台以北は各駅停車となる。眠くて車窓の記憶はほとんどないが、相変わらず停車の度に目が覚めるので駅周辺だけは覚えている。といっても、どの駅がどうだったかということがごっちゃになっている部分もあるが。新幹線の駅はほとんどどの駅も同じ構造であるからである。東海道、山陽の駅との違いとして、全ての駅で駅全体が屋根で覆われていることが特徴的であった。それと、在来線の東北本線と接続しない駅の前後を見ると、何でこんなところに駅がいるの?と首をかしげずにはいられないようなところにあった。
9:25 盛岡着。ここからは「はつかり」に、乗り換える。新幹線ホームから「はつかり」の車内に入るまでかなりの時間を要した。接続時間は、10分程度ではやっぱりしんどいのかもしれない、とここで実感。
新幹線がああだったのでこれも混んでいることが予想されたが、何とか席にありつける。
9:45 盛岡発。
「はつかり」は頑張って走るが、時々徐行したりして、遅くなることも多い。ここからも車窓は平凡で、眠りこけてしまう。東北新幹線の延長を訴える看板が目についたこと以外は、あまり車窓の印象はない。
12:01 青森着。駅はねぶた祭りのフィーバーで猛烈に人でごった返している。
荷物をロッカーに預け、駅前にある仮設の案内所で、パンフレットをもらって、フェリーターミナルの場所を聞く。「STBのすすめ」の情報により、24H営業だと知ったため「FTB」(フェリーターミナルビバーク)の予定があったのと、O氏が函館に行きたくなったからである。かなり遠そう。どうすればきっぷが取れるかということは、とりあえず電話しろということだった。しかしO氏が携帯で何度電話しても、一回もつながらなかった。
12:30 青森の「観光」をする。まずは昼食のため繁華街をぶらつく。最初ケンタッキーに目が留まるが、500円で日替わり定食を食べられる喫茶店をO氏が見つけてそこに入る。昼飯の方はそこそこよかった。
13:30頃 店を出る。その道をそのまま真っ直ぐ進み、橋に着いた。特にどうということはなく、少し南下し、公園を回る。噴水がある公園は比較的大きく、泊まれるかな、と考えたりもした。当初の予定では、青森に適当な公園があるだろうからそこに泊まる、あるいはフェリーターミナルに泊まるか、という案しかなかったのだ。
やたらと道が広く、やたらと生命保険のビルが聳え立っているメインストリートのR4を経て、「青い森公園」へ。そして青森観光物産館、「アスパム」に入ってみる。青森の観光スポットといえばここしかないのか、人がやたらと多い。
ここではただで各市町村のことを電話で聞ける観光ガイドがあって、キャンプ場についてO氏が尋ねたりする。
16:00ごろ 一昨年来たとき発見した「ラブリッジ」を経由して、「八甲田丸」へ。この船は青函連絡船で使われたもので、中に入れる。が、それだけ。何か展示しているところもあったが、800円と鬼のように高く当然パス。
その船と道を隔てた反対側には、「列車休憩所」なるものがあって、ただで列車内で休憩ができる。その手前に、テントが数張張られていて、自転車が置いてある。サイクルツーリストの集団のようだ。ここなら張れるではないか、とは私の提案である。そのメンバーと思われる連中の中に、祭りの格好(後で分かったこととして「跳人」というそうだ)をした者もいた。ちなみにこれは、駅前にある店等に行けば衣装を貸してくれることが分かった。しかしその代金が4700円と、かなり暴利をむさぼっている。他にも貸してくれるところがあって、そこは3000円であったが、それでも高い。O氏は「そんなもん」と言っていたが。
16:30 明日船で函館まで渡りたいというO氏の意向から、フェリーターミナルを目指す。まずは、一昨年来たときに時間切れで昇れなかった、橋の下の階段を昇って、青森駅の上を跨いでいる「青森ベイブリッジ」の上に至る。
FTは猛烈に遠かった。船は見えているのに、見通しがあまりにいいため、なかなか着かない。
17:10 フェリーターミナルに到着。この敷地内の芝地などにはテントが林立していて、テント村が形成されていた。噂に違わぬ状態。ここなら宿泊可能といった感じ。
受付にO氏が尋ねてる。フェリーは予約をする必要もないようだった。だから行こうと思えば行けることが分かった。
17:41 帰りは、1日2本しかないというバスを絶妙なタイミングで利用する。
18:00 青森駅の西口に着く。ここで降りなければならないか分からなかったが、皆一斉にここで降りた。これでちょうど夕方になった。
18:10 駅下にある「ドムドム」で夕食。この頃になると、祭りの格好をした若者が目立つようになる。
18:30 いよいよねぶたへ。当然周辺道路は歩行者天国となる。人は多いが、自分の思う方向に進める程度ではある。ねぶたを見た印象は「意外と小さい」であったが、回転したりダイナミックな動きを見せられて、迫力を感じた。
20:30 祭りは終了。この日の夜は、「列車休憩所」前で過ごすことを決める。O氏はフェリーターミナルまで行きたがっていたが。
早速テントを張って入ってみる。意外と暑いことに気づく二人。
張ってしばらくしたところで、我々のテントの前まで二人組が近寄ってきた。ここで泊まりたいという。彼らはテントを持っていない様子。何と、地べたで寝るようだ。まさに「野宿」である。
軽く会話をする。「どこからですか」「関西です」「ああそうですか、彼、実は岐阜なんですよ。おれたち今日ここで知り合ったんですよ」などなど。関西、ということで岐阜が近いと思っているのかもしれないが、岐阜は関西ではない。このような会話は、私は去年の北海道旅行などでかなり慣れてきたのだが、O氏はあまりこういうのは好きじゃないらしく、すぐに切り上げた。もとより、みんな一人旅だから集まりたがるのだが、今回は二人で来ているからということもあった。
7:00ごろ 朝は、強烈な直射日光によるテントの温度上昇によって起こされた。猛烈に暑くなってしまった。
気が付いたら人はだいぶ減っていた。すがすがしい朝というよりも、かなり暑い朝であった。
青森駅北側の「テント村」
9:40 下北半島に直接向かう、下北汽船に乗る。思っていたよりも小さい船で、かなり高速で航行された。
今日は本州最北端を目指すのだが、船から見える「仏ヶ浦」という景勝地があり、景色がいいことを掴んで、3460円とかなり高額であるが、これに決める。が、いざ乗ってみると、すぐに眠くなって寝てしまった。仏ヶ浦は一応見れたが、あまり大したことはなかった。
12:00 佐井という村に到着。ここで時間がある。最近建てられたと思われる、しっかりとしたレストハウスがある。お土産が主に売られている。昼食にしたいが、大間でいいやということで一致した。私はアイスを食う。O氏は、イカの丸焼きを食べるために注文するが、かなり時間がかかり、ぎりぎりまで待たねばならなかった。そのぎりぎりで、私も買って食うことにした。100円という安さも魅力だが、非常にうまかった。
12:42 佐井のバス停は、何の変哲もない道端にあった。そこから、本州最北端の町、大間へ。
13:10 「大間」に到着。しかしここは、大間の町の中心に過ぎず、そこから最北端までは約2キロ、歩いていかなければならなかった。それも、バスはしっかりとその最北端まで走っているのだった。意味なく歩かされたことになるが、歩いて到着すると、最北端に到着したときの感慨もひとしおであった。
13:40 最北端に到着。最北端の地は、「ミニ宗谷岬」といった印象だった。宗谷岬によく似た地形と、周りの様子で、もちろん観光地化されてはいるが、それほど人でごった返している様子もなく、かなりナイスな場所であった。日本最北端を知っている私としては、少し物足りない感じをしたが。
最北端の沖数百メートルのところに、弁天島と呼ばれる島があり、その島の真ん中には灯台もある。又、潮流がかなりあって、常に西から東に流れていて、大きな河のようでもある。対岸にはかすかに陸地が見えるが、函館山がどこかとか、詳しいところまでは把握できない。
ラーメン屋があったが閉店していたりと、まともに飯の食えそうなところは見つからず、そのままだった。
最北端にあるレストハウスに行って、「本州最北端到達証明書」を発行してもらうが、一枚200円。「日本最北端到達証明書」の2倍も暴利をむさぼっている。
私はしきりに「日本最北端に行ったから大したことないな」と、自慢のように語っていたが、O氏の方が、フィンランドのロバニエミのような、北緯70度くらいのところに行っているから、全然自慢になっていないのに。
お土産屋から流れるラジオは、もはや北海道のものであった。青森市内に行くよりも、函館に行く方が圧倒的に近いことを物語っている。それどころか、さっき船で見たテレビも函館のものが映っていた。足摺にいたときに、宮崎のテレビが見れたのと同じような感じである。
ラジオを聞いてたら、突然、津軽の民謡が流れてきた。これ以降、この曲がひたすらエンドレステープで流されることとなる。しかもうるさい。何度もしつこく聞かされると、かなり迷惑。既に、最初のフレーズ「津軽生まれで海峡育ち、男勝りは親譲り」というところはしっかりと頭に叩き込まれてしまうほどだった。O氏はこの旅行の後半、「オレ、津軽生まれで海峡育ちやし」と、ギャグに使ってしまうことになる。
今日はここでテントを張ることになる。テントサイトは、大間の岬から歩いて2分くらいのところにある。ただの芝地があるだけであったが、水道、休憩所、トイレは完備してある。テントの数はあまり多くなく、この点でナイスであった。
明日の計画を考える。既に当初の予定はズタズタになっている。O氏はこのようにいつも旅行の計画はあまり建てないで、その場その場で決めるようにしてるらしい。確かにそれも面白いが、旅行中の貴重な時間が、考える時間に使われるのはもったいないのではないかと思った。
ここまで来たからには、O氏はどうしても函館に行きたそう。もっとも、O氏のリアクションは常に「どっちでもいい」で、意志はハッキリしなかったのだが、大体の見当でそう思った。そうなると、ここからの帰りに乗る予定だった大湊線を乗り潰せなくなるから私は渋った。が、私も少しは函館に行きたい心境ではあった。通算5度目の北海道上陸と、通算3度目の函館へ。
行くのはいいけど、大湊線は乗り潰させてもらうという条件で、明日は函館に行くこととなった。ただし、函館行きの船が出るのは、6時半と、その次が11時半という、「間に一本ないんかい」と言いたくなるダイヤとなっている。ここから大間の港までは3キロ以上あるから、歩いていきたくない。バスはこんな時間にはもちろんない。従って、とてもじゃないけど6時半は無理。そうなると、11時半ということになる。これならバスも利用できるし。
あまりに速く着きすぎて、少し暇なのではないかと思っていたが、ボーッとしているうちに時間は過ぎた。海辺でぼーっとしていることを、お互いに見ていたテレビドラマのタイトルを取って、「ビーチボーイズする」と、定義してしまう。
が、夕方になると、そういうことを論じていられなくなる。というのは、夕食を食う場所、あるいは売っているところが、岬周辺には全くないのだ。岬周辺には店は多いが、お土産屋ばかりで食べ物屋がない。食堂はあるが、夕食を食べさせてくれるところは皆無だった。「移動マーケット」のようなものが来ていたので入ってみるが、めぼしいのはなかった。唯一食べられそうなものは、お土産屋にある、「カロリーメイト」であった。どうにかしよ
うと思ったら、さっきバスを降りた2キロ先の町まで行かねばならない。又、同様に「近くに温泉がある」という情報を掴んでいたが、それも3キロほど先で、往復だけで1時間半もかかってしまうため、断念せざるを得なかった。O氏は、かなり大間の市街地まで行く気を強く持っていたが、私が往復4キロも歩く気がしなかったので渋っていると、O氏の方から「カロリーメイト」にしよう、ということになる。
大間崎でカロリーメイトの夕食を取っている様子
夕方に最北端に行ってみると、だいぶ潮が満ちてきて全く違う様相を呈していた。
O氏は、「最北端夕食」「最北端パン一」「最北端体拭き」「最北端歯磨き」などといってはしゃいでいて、この大間をいたく気に入っている様子だった。
夕方過ぎに自転車ツーリストの集団がやってきて、鍋ものの夕食を取っている。それを見て、やっぱりガスバーナーとか飯盒を買ってくるべきだったとO氏は悔やんでいる。同時に、もっと食料を準備しておくべきであったよう。私はカロリーメイトでもよかったのだが。逆に私はその光景を見て、やっぱり自転車がいい、と思った。自転車ならば、大間の町まで10分足らずで行けただろう。
夕食問題を除けばいい感じのところで、最高に楽しい気分になれる夜であった。今振り返ると、この日がこの旅行で最高の日であったように思う。
6:20 今日も直射日光で起こされる。6時過ぎには起きていたが、もう自転車の連中はいなかった。何という早さ…。
もはや、最北端のこの界隈は我々の庭のようなものになっていた。すぐに行ける岬で、私も「最北端歯磨き」を決行。朝は人気が少なく非常に快適な空間であった。
今日は船で函館を目指すが、船が出るのは11時過ぎ。またしても暇を持て余し、「ビーチボーイズ」気分に浸る。
天気が悪くなってきた。気になったので「177」を聞いてみると、午後から雨らしい。更に、函館の天気も聞いてみると、やっぱり雨で、しかも明日の0時から6時は、波の高さが2.5〜4Mというではないか。そんなあ。帰りは、函館港1時発のフェリーに乗って青森に帰ってくることになっている。酔うー。猛烈に嫌な予感がした。これ以降、私はO氏に必要以上に過剰に、船に乗ることに関する抵抗感をあらわにすることになる。
9:35 発の、最初に乗る予定のバスをひたすら待つが、全く来る気配はない。一緒に待っていた地元の高校生もどこかに消えてしまうほど。軽く「運休」されたようだ。車両故障か、事故か。はたまた崖崩れ等で不通区間でもできたのか。原因は不明。一本遅いのでも間に合うからいいが。ここで余分にいなければならない分余分に「津軽生まれの海峡育ち」を聞かされて迷惑を被ることになる。
10:43 バスが到着。助かった。
11:00 フェリーターミナルに到着。出航30分前であったが、満員で乗れないということもなかった。しかし入ってみると満員だった。カーペットの客室の居場所を確保するのに一苦労する。甲子園フェリーのときと同様の、客層。ヤンキーみたいなのの家族連れが多い。
12:30 前方に函館山が見えてきた。まだ着くまで40分ほどあるのに、くっきりと見える。客室内のカーペットで寝ていたO氏を起こして、一緒に鑑賞する。
13:15 一時間半で函館港に到着。クルマ無しの乗客は一番最後まで待たされる。しかも着いたはいいが、余りにも場所が悪すぎる。中心地からは5キロは離れている。もちろん歩いてでは全く不可能。バスが接続しているというが、それが又一向に来る気配はない。やばいと思って他にも乗り場があったのでそっちに移ると、とりあえずバスが来たので乗るが、これは函館駅までは行かない。函館駅に行くには乗り換えをせよ、ということだが、よく分からない。これからの観光のことを考えて、思い切って1000円の一日乗車券を買うことに決めた。
14:20 駅に着く。駅を行き来する人の数は、ねぶた祭りで賑わう青森と同じくらい。さすが観光地。
14:40 まずは飯を食う。恒例(?)の、日食で。ここで久々にまともな食事にありつけた。私は海鮮そば定食にした。まずは五稜郭を目指すのだが、当然荷物を置いていかねばならない。まず、コインロッカーを探す。相変わらず一杯で、一つも空いてない。やばいか、と思ったが、駅の外にもう一ヶ所あって何とか助かる。
長い間風呂に入っていないので今日は風呂に入りたいということで、その用意を置いていくわけには行かないところだが、私はあいにく小さなリュックを持ってきていないため、タオル、替えシャツをビニール袋に入れて持っていくという不細工ないでたちで行かざるを得なかった。
市電は1区間200円。同じような形態の都市の長崎の倍もしてしまうのだった。
15:20 五稜郭の電停付近が函館の中心街となっている。ここからだいぶ歩かされることが分かるが、このことにより思い出してきた。そして五稜郭公園へ。ここでは、五稜郭タワーに昇ることになった。3年前、ほりい、ちんやと来た時には高いからといって敬遠した例のタワーである。あの時よりもさらに110円も値上げして630円となっていて、さらに暴利をむさぼっている。しかも昇ってみると、ただの公園のようにしか見えず、五角形している様子なぞ全然分からない。何とも中途半端なタワーである。あの時敬遠して正解だったといえるが、結局昇ってしまっているからあまり意味がなかった。この値上げが、将来もっと高いタワーを建てるための資金の先取り、ということなら分からなくもないが。
15:50 タワーから降りてきて、公園を散策。一周することはできなかったが、一通り見て電停まで。その前に、ダイエーに寄ってO氏は一本300円弱のフィルムを買った。
16:40ごろ 今度は湯ノ川温泉に行く。温泉というからには、あちこちに温泉に入らせてくれるところがあるのだろうと想像していたが、見当たらない。O氏が、近くの店で尋ねたが、何の変哲もない普通の銭湯にしか見えないところしか見つけられず、しかも、40年くらい前そのままといった感じの施設であった。
18:20 湯ノ川は市電の終点。ここから函館駅前までは30分以上もかかった。駅をスルーして、十字街で降りる。この辺りに、函館の名所旧跡があるということで歩き出したところで雨。O氏は傘をロッカーに置き忘れてきて大変。時々スコールのような雨が降ったりする。
19:05 教会、公会堂など、見るべきところを一通り見て、函館山へ向かうバスに乗る。このバスは、函館駅から山頂まで走っている函館市営バスで、運賃は320円。ロープウエイが往復で1160円もすることを考えると破格の値段。しかも一日乗車券で乗れる。これで、かなり元が取れた。そういうことだから座れないほど混んでいることを予想したが、全然であった。
函館山への道は、夜間はマイカーは入れないようになっていた。それもそのはず、最小半径10m、勾配15分の1という過酷な道路条件の中、対向車線に思いっきりはみ出しながらバスは走る。バス同士のすれ違いも、どちらかが待避しながら慎重にしなければならない状態であった。ちなみに、当初は帰りは真っ暗の中、懐中電灯を携帯して歩いて降りてくるという計画をO氏は建てていたが、とんでもなかった。
19:20 山頂に到着。展望台までは直ぐだが雨が激しいため、走って行く。さっきの雨と相俟って、びしょ濡れである。2年前に一人でここに来たときと全く同じ状態。
その時は頂上に辿り着いたときには雨は降っていなかったからよかったが、今回はじゃじゃ降りで外には出られない。しかし、3年前の「堂本堂合宿」の時のようにガスがかかっていることはなかったために、景色は十分に見ることが出来た。
20:20 駅に戻ってくる。さあ、夕食だ、と思ったが、お約束の日食は既に閉まっていた。その前にあるうどん屋は空いていたが、そばしか残っていないという。仕方なく天ぷらそばを注文して夕食とした。
荷物をコインロッカーに取りに行く。その時、コインロッカーの谷間で寝袋にくるまって眠っている外人を発見した。
21:00 さっきとは逆のルートで、市電に乗って五稜郭公園前まで行く。ここからバスが出ているはずだ、と思って四隅のバス停を見てみるが、よく分からん。そうしている間にも、雨は容赦なく降り続いている。時間はたっぷりあるので歩いていこうかという案もあったが、タクることに。
21:30 フェリーターミナルに到着。乗りながら、とても歩いて行ける距離ではないことを認識。しかし、あとで調べてみると、函館から二駅目、江差線の七重浜駅から、フェリーターミナルまでは1キロほどの距離にあったのだった!悔しい思いがし、同時に、フェリーにあまり乗りたくなかった私は、O氏に対してぶつぶつとぼやいてしまう。「ほな『海峡』にしようや。それはいいけど、どこに泊まんの?」と、半分自棄になって、こんな言葉を発させてしまうほどで、かなり険悪な雰囲気となってしまう。
時刻表に書かれていたフェリーの出航時刻は1時00分だったが、0時10分になっていた。何で、話が違う、と、何とか船に乗らないですまないものか、とさらに不満をぶつけてしまう。
船の値段は1420円である。「海峡」が3000円近くするのに対して、たしかにかなりの安さである。しかし、両ターミナルの交通の不便さから見ても分かるように、ここは完全にクルマ専用の船であるといえる。実際、タクシー代だけで870円かかっているから、合計すると2300円となるし。
23:30 0:10発のフェリーに乗る。雨は止まない。が、あまり揺れることもなかった。O氏には、乗る前に不平をぶつけてしまって申し訳ないことをしたと思った。
5日目(1997.8.9(土))、大湊線、竜飛、そして「津軽今別」
4:00 なんとも中途半端な時間に、青森駅から2キロ離れたターミナルに降ろされて、どうしようもない気持ちになる。かなり熟睡はできたが、気持ちよく寝ていたところで起こされたため寝起きが悪かった。
こんな時間、当然バスなど来ない。雨はほとんど降っていなかった。ここでタクってしまうと、昨日と合わせて1500円くらいになってしまう。当然歩いていく。
4:26 途中にあった、24H営業の「ヤマザキデイリーストア」で、買い物をし、一昨年私が真っ暗の中歩いた道のりを経る。
4:40 青森駅の西口に到着。まだ開いていなかったが、ほどなく開けられて、すぐ中に入る。
朝一の「はつかり」は、すぐに入線してきた。リニューアルされた485系であった。車両の前面には「North East Express」と書かれていて、その中央に大きく「485」としてあり、LEDのヘッドマークの下には「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」と、小さく書かれている。どう見ても、JR九州の「RED EXPRESS」の真似にしか見えなかったが、「鉄」的に写真に収めてしまった。
内装の方は確かにきれいで席の座りごこちもよいが、席の狭さだけは全然変わっていなかった。
5:24 青森発。
5:51 次の停車駅の野辺地へ。大湊線までまだ1時間くらいあって、時間を持て余す。外は雨にも関わらず、O氏は意味もなく駅前を散策している。意味なくこんなところに連れてこられた、と思った上での腹いせかも知れぬ。
駅の方を見遣ると、盛岡行きの「極悪電車」や、青森行きの「極悪電車」の準備がなされていた。ああ、乗りたくない。。
6:32 大湊線の上りが野辺地に到着。早速乗り込む。
6:52 野辺地発。大湊線は、海にぴったり沿う区間があったりと、景色がよかった。もっとも、フェリーでの寝不足がたたって、行きと帰りとでどうにか「準未乗区間」は免れた、という程度であったが。
ここで、「ビーチボーイズ」の第一話で、竹野内がこれと同じキハ100(向こうは110?)に乗って外を眺めていると、並行する道路を走る、反町運転のクルマと激しいデッドヒートを繰り広げるというシーンがあったことを話す。あのシーンについて疑問だったのは、あの路線はおそらく小海線と考えられるが、「ビーチボーイズ」というタイトルからは全く無縁の、高原路線での撮影であったことである。どうせならば、海に沿っていて、なおかつ道路と鉄道の並行するところで撮ればいいのにと思ったものだった。ここならば、そういう適当な場所があったのに。
大湊線は駅数が少ないから、距離も大したことないなと錯覚していたが、実際に乗ってみると13キロ以上も駅がないところがあったりして、しっかりと58.4kmもある路線であることが実感された。
7:52 大湊着。当然この列車がそのまま折り返すので、荷物は置いてスタンプでも押しに行こうと思ってたら、駅員から「出てくれ」と言われる。なんでや、と嘆かずにはいられなかった。しかも、出てみると猛烈に長い列があった。この列の後ろにならばざるを得ず、ろくな席につけなかった。結局そのままボックスをゲットできないままであった。ちなみにこのキハ100は、4人掛けのボックス×6の構造である。
折り返しの列車は、快速「しもきた」となって青森まで直通する。その間の半分くらいは寝ていた。
9:38 青森に戻る。これからどうしようか、と悩む。田沢湖か、深浦か、あるいは竜飛か。まず、深浦のキャンプ場にO氏が電話。とても歩いて行ける距離にはないと言う。せっかく五能線を乗り潰せるチャンスであったが、それは今度の機会となった。こうなると次は竜飛。電話の結果、こちらの方は何とか泊まれそうとのこと。
北の方に行ったら、雨になっていることは明らか。しかし、今から田沢湖まで南下しようという気になれず、しかも、乗り潰し距離を増やすための、秋田回りの特急「いなほ」の自由席は既に一杯であったことを確認してしまう。盛岡回りにすれば充分に行けたが、ここまで来たら津軽線を乗り潰したくなった。結局私の判断で、津軽線を乗り潰すべく、竜飛で泊まることにした。
11:00 弁当、駅弁を買って、快速「海峡」に乗り込む。旧式の客車列車のせいか、揺れが激しくて、後ろ向きで、酔いそうになる。
11:42 蟹田着。完全に雨。津軽線の列車の姿はない。しかも、ホームには屋根もなく、待合室も人で埋まっていて、かなりどうしようもない駅。
12:01 津軽線に乗り換える。駅弁の方が保存が利かないということで、昼食は駅弁となる。
中小国から、海峡線と分岐。向こうは全線高架の複線で、新幹線のようである。
12:25 津軽今別と津軽二股駅が隣接して、駅前に公園があることをしっかり確認。「STBのすすめ」の情報通りであった。今日の宿泊地としての、私一押しのスポットである。
12:41 三厩着。ここから4分で竜飛行きのバスが接続していて、それに乗る。バスは猛烈に狭い道を走っていく。乗客の大半は観光客であった。沿線風景は、海が見えるのは当然だが、陸の方はすぐに崖になっていて、その狭い平地に、鄙びた漁村が広がるだけであった。非常に寂しいところである。
13:10 「竜飛」に到着。どう見ても行き止まりのようなところに、バスターミナルがあってそこに停車する。しかし、竜飛岬は切り立った崖の上にあるということだったから様子がおかしい。バスはしばらく停車するが、誰も降りようとしない。しばらくすると、バスは同じ道を引き返した。竜飛岬行きのバスも、一旦竜飛の町まで行ってから折り返して、これから坂を登って岬を目指すのだそうだ。これで、時刻表に載っていた、バスのダイヤが、竜飛と、竜飛灯台前で、運賃は同じなのに竜飛−竜飛灯台前間で15分もかかっている理由が分かった。
13:25 灯台前のバス停に到着。バス停といっても、水たまりのあるただの原っぱであった。降りて見ると、雨と風が猛烈に強い。傘を差して歩くのもままならない。近くにある食堂に、用もないのに待避しなければならないほどだった。灯台は見えているが、はるか彼方である。こんな状態で、灯台までたどり着いて、そのあとキャンプなどできるのだろうか非常に不安に思う。しかしO氏は相変わらずやる気である。
まずは、バックパックを背負ったまま、キャンプ場を探す。それらしき場所が崖の下に見えた。坂道をひたすら降りてたどり着いたころには管理者がいて、話を聞いてみると、「今日は風が強すぎてテントどころではない。4000円のバンガローならば」ということであった。O氏はそれでもいいと言う。ここはバス停からかなり離れていて、明日7:15発というのは早すぎると思った私は、できるだけ青森に近づいておきたかったからそれを渋った。そうしていると、O氏は、それなら津軽今別に泊まろう、と言ってくれた。。
そう決めてから、竜飛岬に観光に行く。天候は最悪だったが、景色は最高によかった。山の方に目をやると、風力発電所の風車がポツリポツリと立っている。「自然の景観を壊す」と言って、設置に慎重になっている、というニュースを見た、例の風車である。これに象徴されるように、この辺りではいつもこんな感じで風が強いのだろう。気象状況を電光掲示しているところがあったが、それを見ると、風は常に15m/s前後吹いている。あと、雨がちにもかかわらず湿度が何故か30%台であった。かなりいい加減。いろいろ見るべきところは多かったが、如何せん天気が悪く、あまり積極的に歩いてみようという気にはなりにくかった。
岬を見た後、「津軽海峡冬景色」の碑があるところに行って写真を撮ったときに、折り畳みの傘を軽くふっ飛ばしてしまう。傘は崖下へ落ちて、取りに行くのは絶望的となった。また、旅先で物を失ってしまい、当然、例によって意気消沈せざるを得なかった。
帰りのバスは、さっき降りた灯台前からは出ず、さっきのバスが折り返した竜飛から発車する。バスが通ってきた道沿いに帰るとしたらかなり絶望的な距離であったが、近道があった。R339の「階段国道」と呼ばれる道で、竜飛岬のすぐ下からその道があって、そこを降りていくと、さっきの竜飛のバス停の前に出るという寸法になっていた。。
15:15 待合室に到着。
15:35 竜飛発。相変わらず鄙びた漁村の間の狭い道をバスは走る。
16:05 三厩着。ここで一時間半以上もあるという中途半端な予定となっている。一本遅いバスで行くと、間に合わないから仕方がない。
スタンプを押したり、「旅日記」を読んだり、線路が終わっている地点、駅名標などをバックにバシバシ写真を撮ってもらったりしても、当然のことながら時間が余る。
O氏推奨(?)のナイス野宿ポイント、三厩駅前の自転車置き場の軒下で、サイクラーのグループが、今にも自転車を畳んで列車に乗ってこようとしていた。見ていると、私のよりもかなり小さく畳まれていた。どうやったらそんなになるのだろうと思った。やっぱり自転車があったほうが便利だという話になって、挙げ句の果てには、O氏が、来年の春、盛岡か博多でママチャリを1万2千円くらいで買って、北海道や佐多岬を目指したい、とまで(もちろん冗談だが)ほざくほどにまでなっていた。
この駅の時刻表を見る。列車は一日たったの5本しかない。到着時刻や、接続列車の青森到着時刻、発車時刻まで書けるほどである。
17:39 三厩発。行きと同様に乗車率は低かった。
17:54 津軽二股で降りる。降りるのはもちろん我々だけである。車掌は何の確認もしに来なかった。
O氏はこのまま青森まで行って、一昨日に泊まったあのナイスポイントで泊まりたい旨を話した。O氏が青森を推す理由としては、勝手が分かっていること、明日の足が便利なこと、買い物が出来ることなどであった。降りた段階でも、まだそのことを主張していた。
私の主張としては、あの時はねぶた祭りの最終日ということもあって、無礼講的なところもあったからおとがめ無しだったかもしれないが、今日はそうは行かないだろう。それに、今朝見たところテント村はなかった。あのテント村ができるのは祭りの間だけかもしれない。そうなると単独でテントを張ることになり、地元のヤンキーに絡まれる可能性だってある。そういうこともあって、私は渋っていたのだ。
が、しばらくすると、「はい、津軽今別で泊まろう」と、開き直ったような口調で話す。もうどうにでもなれ、と言わんばかり。2日前の大間のときと同じような感じで。どうもすっきりしないが、兎にも角にも私の意向が通ったことになった。
津軽二股の駅前には、立派な施設「アスクル」があった。最近建てられた施設で、ここではお土産はもちろんのこと、円柱形の水槽に魚を泳がせたり、観光案内板があったり、軽食が取れるようでもあった。しかし、こんなものが何故いるのか、と思えるほど人はおらず、さらに周りには全く何にもなく、私にとっては環境のいいところであった。
津軽海峡線の津軽今別は、築堤の上にあり、津軽二股駅からは連絡橋がある。その距離も遠くなく、新幹線と在来線との乗り換えに比べると、はるかにスムーズに行き来ができる。
まずは、青森で買った弁当の夕食を「アスクル」にある「風除室」なるスペースで、とる。この建物は2重扉になっていて、その扉と扉の間のスペースが、この「風除室」なのだ。「『アスクル』閉店時は、風除室をご利用下さい」の札が下がっていた。何のことか分からなかった。この時点では。
夕食後、津軽今別駅の待合室で滞在する。待合室は、かなり最高な造りだった。上りホームと下りホームに一つずつあるが、それぞれ2人は泊まれる。
この駅は、本州内にありながらJR北海道の駅である。駅名標の下のラインが微かに黄緑になっていることからもそれが分かる。また、待合室にもJR北海道でチケットがとれるという、ミュージカルの宣伝ポスターが貼ってある。ただし、その会場は札幌である。こんなとこからそこまで行く奴おるかえ!
19:07 この駅に停車する列車は、一日に上下それぞれ3本しかないが、既に下りの最終列車は終わっている。そして、この時刻に、青森に向かう最終列車が我々の前に停車する。ホームには、出迎えの地元民×2〜3が来ていた。「これに乗れば、まだ青森で泊まれる」と私は進言したが、当然の如く見送って、誰もいなくなって、これでここで泊まることが決定した。
二人の間に、虚脱感をたっぷり含んだ空気が流れる。この旅行中、こういう空気が流れることがしばしばあった。その度に私は、仕事が見つからない、あるいはヒッチハイクのクルマが見つからずに途方に暮れているときの猿岩石の二人の様子を彷彿とさせるものがある、と感じて、ここでそれを言ってみるが、O氏は、全くそんなこと感じていないようで、強烈に否定される。
19:40ごろ 「アスクル」の電気が消えた。こちらには誰も来る様子はない。「アスクル」を除いてみると、まだ人影があった。その人がひょっとしたら来るかもしれない。この待合室も閉められるかもしれないと思って、O氏は、蚊に刺されるのが嫌だということで,津軽今別駅を後にする。
さっき夕食を取った「アスクル」の「風除室」に入ってみる。既に「アスクル」は閉まっているがここには入れるようだ。自動販売機があるから、そのためかもしれない。ここには1人が十分に寝られるベンチ×3があった。しかし、自動販売機の保冷機のためか、暑い。それに、今は行き来できるが、将来的にこの自動ドアが閉まらないとも限らない。そういう不安感が伴って。駅前の公園にテントを張ることにした。この時点では、雨は止んでいた。また、風もなかった。
20:30ごろ テントを張って、「風除室」内の自動販売機でジュースを買って、周辺散策。あまりの何にも無さ、人気の無さ、その割に必要以上に整備された駅前、必要以上に煌煌と照る街灯。この空間を一人占めしているような、最高の気分になっていた。駅周辺は人工的ではあるが、自然の中といっていいこの空間で泊まることができて、よかったと思っていた。
しかしやっぱり(?)「駅前」であった。クルマが近づいてきて近くに止った。もはや列車もないのに、こんなところに何の用事なのだ。私は非常に不安になった。覗いてみると、ここにある水道を利用して洗車をしているようだった。「盗水」をしている。とんでもない奴だ。
そのあとにも、ヤンキーみたいな(ハッキリ確認したわけではないが、こんな時間にこんなところをうろついているのは、ヤンキー以外に考えられない)集団がやってきたりもした。それに、北海道と本州を結ぶ幹線の線路のすぐ側で、貨物列車が行き交ってうるさい。そんなこともあってあまり寝られなかった。しかし、本当に寝られなくなるのはこれからであった。
日付が変わるころには、風雨が次第に強くなってきて、段々洒落にならなくなってきた。第一段階として、雨を避けるために、屋根の下にテントを移したが、この屋根は簡易式のため、雨がかかる。風が猛烈に強いのだ。私は全然寝られなくなった。
1:00 さらに、またトラックやクルマが数台やってきて止った。これらは一向にどこかに行く気配がない。一体何なのだ。とにかく寝られない。
3:30ごろ 風雨はさらに強くなってきた。もう限界だと判断した私は、「アスクル」にある「風除室」に、全てを移そうとO氏を起こす。まず荷物を持って、その次にテント。これが地獄を見ることになる。
テントはそのままの状態で、「風除室」まで運ぶつもりだった。距離は、およそ100m。
テントの中にはまだ、マットや時刻表などが残っていた。まず、それらがことごとく外に飛び出す。が、そんなもの拾っている余裕すらなかった。テントそのものが飛ばされそうになるのだ。アルミ製のポールが大きくしなる。折れそうになる。折れたらパアである。そうなると全く洒落にならないと思い、必死になるが、何とか運び入れることに成功。その時何故か「風除室」にいた、トラックの運転手と思われるおっちゃんもビックリ、といったところであった。
しかし、テントの中のものが…。O氏のマットは見つかった。私の時刻表も何とか取ることができたが、マットが全く見つからない。焦って探しに行くと、全く見えなかった溝にはまってしまう。腰の辺りまですっぽりと。もうマットを探しに行くことは不可能。明るくなってから探しに行くしかない。
時刻表や、挟まっていたパンフレット類は、ビショビショのボロボロ。それよりも問題は、さっきズホンまではまったので、財布の中身である。これがそうなってしまうと、本当に絶望的である。おそるおそる見てみるが、何ともなっておらず助かった。
私は、テントにいるのが限界だと感じてこういう行動に出ようと持ち掛けたが、O氏の方はしっかりと寝られていたようだった。わざわざO氏を起こしてまでした計画だったのに、当然ビショビショの状態にさせてしまったり、なったりして、精神的ショックが非常に大きかった。
改めて外を見ると、台風としか思えないほどの強烈な風雨。あんなとこでテントをたてて寝ていたとは…。竜飛で寝ているのと何ら変わりない、といったところであった。やっぱりバンガローに泊まっておくべきだった。こうなってしまうと、どうせ寝られなかったのだから、「7時15分は早い」などというのは、ちゃんちゃらおかしい理由であったように感じる。
4:30 明るくなってきた。マットを探しに行くが、全く見つからない。マットなんか1000円もしない安いものであるのだが、無くなり方があまりにも衝撃的だったため、昨日の傘よりも精神的ショックの原因となった。
6:41 予定では8時25分発に乗る予定だったが、時間を持て余しすぎるだけなので、朝一の津軽線で青森を目指す。
しかし5分ほど遅れた上、「強風のため徐行運転します」とのアナウンス。列車の運行にも妨げがあるほどの気象だったのだ。しかも、この列車に接続するはずの青森行きの列車は運休されて、代替バスが運行されることになるというアナウンスがある。台風のなれの果てがやってきたためだという。そんなこと全く知らなかった。知っていたら、こんなところに泊まろうとはしなかった。
7:20 15分ほど遅れて蟹田に到着。強風のため、と言いながら風はそんなに強くなく、空は晴れていた。今日こそは晴れてくれるのだろうか、という期待が湧き上がってきた。
代替バスは、JRの観光バスで使われるバスであった。1台では入りきらないようで、2台来るまで待たされた。
7:57 代替バスが発車。客層は、高校生並の若者が中心で、後ろの方では修学旅行にでも行くかのような賑わいを見せていた。
本来なら、代替バスと言うからには蟹田から青森までの各駅によりながら走るのだろうが、このバスの乗客の中で、途中の駅で降りる客がいないことを確認したため、青森までノンストップで走ってくれることになった。
8:30 バスは、線路と並行する国道を快調に走り、40分ほどで青森に着いた。
時間は予定よりも大幅に遅れたが、元々の予定では津軽二股を一本遅いので出る予定だからとんとんである。
当然朝食を食べていないので、ここで朝食となる。立ち食いの月見うどんにするが、猛烈暑い。今年の冬、いわき、新庄では非常においしかったが。うどんは夏食う物ではないな、と思う。
今日こそ田沢湖を目指す。最初、大館から花輪線を経由して盛岡まで出、秋田新幹線で田沢湖に向かうつもりだったが、昨日検討した結果、そんな悠長に遠回りをしてては時間がないことが分かり、シンプルに秋田から「こまち」で田沢湖に向かう案が有力となった。
我々はとにかく寝不足なため、早く座りたかった。だから、9時41分発の「はつかり10号」と、10時23分の「いなほ12号」のうち、先に入線する方に乗ろうということになる。両列車はたまたま同じホームに発着するから都合がよかった。
「はつかり」は、青森始発ではなく、函館が始発。「北海道の大雨の影響で」というアナウンスが流れたことから、遅れることは確実視された。既に下りの「海峡」は、かなり遅れていて、ギュウギュウ詰めの状態で発車して行ったりしていた。
案の定「はつかり」は遅れていた。しかも何と1時間も。こうなると当然「いなほ」が先発となる。それでも田沢湖に着くのは「はつかり」に乗った方が早いだろうが、我々は「いなほ」に乗ることにした。
10:23 定刻通りの発車の「いなほ12号」新潟行きで、秋田を目指す。が、この「いなほ」。クーラーの効き過ぎで、猛烈寒かった。しかし、2日合計でまともに寝れたのは3時間くらいしかなかった私は、この中で寝ようと思ったことも手伝って、寝てしまう。また、ここでも強風の影響か大雨の影響かしらないが、徐行運転をしている。できるだけ電車に長く乗っていたかった私としては好都合ではあったが、この自由席はリクライニングは簡易式だし、シートの下に足を伸ばせるスペースがなく、非常に寝心地が悪かった。ちなみに、自由席の車内はほぼ満員だった。
「いなほ」は、南に向かって走るが、一向に天候の変わる様子はなかった。
13:15 秋田着。15分遅れである。満員の乗客の大半はここで降りるが、ホームにはこれに乗る客の長い行列ができていた。そのため、この駅での停車時間はたっぷりと5分とられている。
ああ、寒かった。と思ったら、私はすっかり風邪を引いてしまったようだ。O氏は今日も当然テントで過ごすつもりで張り切っていたが、私の方はとてもそんな状態ではなくなっていた。
秋田の駅前の様子は、青森のそれとはくらべものにならないくらい活気があった。人通りも多いが、青森で多く見られた観光客の姿はほとんどなかった。10年以上も前の型のリュックを背負った私は、ハッキリ言って浮いていたに違いない。
駅前の「イトーヨーカドー」に入る。まず、今日飛ばされたマットを探しに行く。銀色のマットがあったが、猛烈にでかくてどうしようもないのしかなかった。
7Fにあるレストラン街のラーメン屋に入る。ここではとにかく注文が来るのが遅くてイライラさせられた。元気があったり、あるいはテンションが高かった状況なら、「おっそいなあ」とか言って話を盛り上げたりできるのだろうが、この段階ではとても会話を交わす気にはならないほどの身体的精神的状態であった。
食後、1Fで傘を購入。たった400円であった。このとき思ったのは、傘は持って行くものではなく現地で買うものではないか、ということだ。
とにかく今日は私はテントの中で過ごすわけには行かない。確か田沢湖畔にはYHがあったと思うが、定かではない。もしなかったら最悪盛岡のカプセルホテルになるかもしれない。「JC」というコンビニに本を置いているコーナーにあった、ツーリングマップで田沢湖畔YHの存在をつきとめ、電話番号を控えた。
14:40 駅に戻る。秋田駅は、「新幹線」と在来線のホームが厳然と分けられていた。「秋田新幹線」こまちで、田沢湖を目指す。「こまち」は、全て後ろ向きの座席のまま入線してきた。大曲までは後ろ向きで乗ってくれ、ということらしい。
自由席の列には一番前で並んでいたが、私は窓側には座れなかった。秋田から大曲にかけての区間は、狭軌、標準軌の3線区間があったりと、見所が多かったのに。もっとも、そんな健康的余裕もなかった。
15:12 秋田発。「こまち」は、さすがに在来線の単線区間にしては速い速度である。しかもそれでいて揺れが少なく、乗り心地がよかった。よかったが、しんどかったためその気持ちも半減、といったところ。
15:44 大曲着。ここから前に向かって走ってくれる。
居ても立ってもいられなくなり、車内の電話で田沢湖YHに連絡。無事とれてとりあえず安心。「国民宿舎から入って下さい」という意味の分からない言葉を頂いた。
16:16 田沢湖着。駅舎は新築されていた。バスが5分で接続していた。
16:35 国民宿舎を通過したところで、公園前というバス停があった。運転手に聞いて見ると、ここで降りたらYHに着けるということ。
バス停からその国民宿舎のところまではすぐに着いた。このYHは国民宿舎と併設されているようだった。ここでテントを渡してO氏と別れる。明日9時にまたここに来ると言い残して。
16:50 まず受付。会員でないから1000円増しになるが、それはアホらしい。また来年の春に泊まるだろうと予想して、ここで会員登録をしてもらう。合計すると6070円(朝食付き)となった。
部屋はとにかく地獄のように遠い。テントを渡して、荷物をといたままの状態なために背負えないことも祟って、猛烈に遠く感じた。
まずは洗濯をしたい。が、洗濯機が見当たらない。ロビーに行ってみる。受付の人に聞いてみる。洗濯はできないということ。もう着替えがないのに!これでここに来た目的の半分は失われた。部屋に帰ってパンフレットでチェックすると、やっぱり洗濯機のマークがなかった。今度からは洗濯機のあるかどうかをチェックしてから選ぼうと思う。
部屋に入るととにかく寝る。寝るしかない。とにかくしんどい。夕食は無しにして大正解。食えるわけなかった。どうせなら朝も無しにしておいたらよかった。
19:00ごろ 一回寝て起きたらこの時刻。あまり体調は変わっていない、というより、よりしんどくなっている。とりあえず家に電話を入れて、ポカリスエットを飲んで、「熱さまシート」を貼って再び寝る。
もしも、のための救急袋を持って来ていたが、肝心の風邪薬はない。何のために……。用意がわるいのか、間がわるいのか。
22:30ごろ 一回起きたところで、さっきの同室の人の一人に、「かぜ?」と、感づかれてしまう。こういうとき、普通の人なら「いえ、大丈夫です」とか言ってごまかしてしまうのかもしれないが、私は正直に「ええ」と言う。いわば「助けてくれーと」とでも言わんとしているような調子に思えたが。そうすると、さっきの意気投合した仲間にも報告し、その結果私のところに風邪薬と水の入ったペットボトルを持ってきてくれた。このように気を遣ってもらってかなり助かった。
「明日の朝も要らない」と言いに行こうと思って部屋を出るが、既に館内の電気は消えていて、行くのを断念。
7日目(1997.8.11(月))、田沢湖観光と、水沢、中尊寺へ
6:40ごろ 起床。YHに泊まることによって、二日分くらい眠ることができて、体調はだいぶよくなった。朝も食べられないことはない、という状態になった。
7:30ごろ 昨日お世話になった人に軽く挨拶し、朝食をとりに行く。
9:00 荷物をまとめてロビーへ。O氏登場。天気は今日も雨。病み上がりというのもあるが、レンタサイクルはもはや意味がない。昨日死にかけの状態で調べたところによると、遊覧船か、一周バスか、二通りの観光方法があることを伝える。その点は向こうもかなり知っていた。
9:40 荷物をここに置かせてもらって、歩いて10分以内のところにあるという、船着き場まで雨の中歩いて行く。傘が早速役に立った。
9:47 レストハウスに到着。田沢湖観光の拠点のような場所で、一周バスも、遊覧船もここから発着する。遊覧船は毎時0分発で所要時間は40分ほどとなっている。見ると、10時のはどこにも立ち寄らないままぐるっと回って終わりだということが分かる。
私は一周バスでは湖の見えないところも走るだろうからあまり面白くなく、遊覧船の方が楽しいのではないかと考えたが、私の判断はことごとく間違ってきている(と、そう思っていた)から、O氏に決めてもらうことにした。O氏は、どこにも泊まらない遊覧船よりも、途中の観光ポイント2ヶ所で停車してくれるバスの方がいいだろうという判断から、一周バスにした。しかし、一周バスにしたしまうと、そのまま田沢湖駅まで直行してしまい、それから10分で、乗るべき「こまち」に接続しているから、荷物を取りに行かねばならなかった。急いで取りに帰る。
一周バスは、途中の2ヶ所の観光ポイント(たつこ像、御座石神社)で停車してくれたり、本来なら専用の切符がないと途中下車ができないのにさせてくれたりと、観光客に優しいバスだったので助かった。ただし、各観光スポットでの停車時間が10分しかなかったのが残念だった。
11:00 気が付いたら田沢湖を一周。半径の大きいところを一周すると方向感覚が狂って、いつの間に戻ってきたの?という錯覚を覚えた。
一周したバスは、さっきのレストハウス前に一度立ち寄って、そのまま田沢湖に行ってくれ、駅では「こまち」ときっちりと接続してくれる。「こまち」によって、田沢湖は東京と直結され、観光客も増えるだろう。田沢湖駅では、昨日押せなかったスタンプをきっちりと押した。
11:25 田沢湖発。「こまち」は、当然の如く座れない。もっとも盛岡までは30分ちょっとだが。
立っている間にも、赤渕駅で「こまち27号」が運転停車しているのと、雫石の先の駅でも同じく、「こまち15号」が運転停車しているのを目撃した。田沢湖線は全線が単線だからどうしてもこうなってしまうが、こんなんではとても新幹線とは思えない。
12:01 直前まで猛烈に田舎だったが、瞬く間に街になって、高架になって、盛岡駅の新幹線ホームに滑り込む。しかしまだ降りられない。「やまびこ」と連結しなければならないからだ。これによって、ガクンという衝撃があったりして、盛岡着。早速連結部を写真に収めようと思ったが、失敗。O氏も「こまち」のデザインにはかなり気に入ったようで、もちろん冗談だろうが、Nゲージを買おう、とか言っていた。
ここで昼食を買うためにうろうろする。私としてはコンビニが駅前にありさえすればよかったが、それがなく、店の選定に苦労する。
12:50 盛岡発。乗ったのは東北新幹線。しかし北上まで2駅だけ。
13:03 新花巻着。あっという間、この駅は2面2線でスノーシェルター完備の駅だったが、この駅こそ田圃の真ん中にある駅だった。
13:11 北上着。重い荷物を降ろして、列車を降りる。
「新幹線に乗る」ということは、長い階段を上らされ、(特に自由席の場合は)ホームに上がったら上がったで階段から乗車口まで長い距離を歩かされ、大きな荷物のある時は苦労させられることが分かる。その上新幹線ホームと在来線ホームとが離れていて、出口にたどり着くのに時間がかかってしまう駅が多い。この北上駅もそうだった。
北上では40分時間がある。中途半端な時間である。ここには駅前郵便局があった。早速下ろしにに行く。郵便局には、残り2万円しかない。1万円では不安。全部下ろしたくないので、中途半端に1万5千円下ろすことにした。
13:50 北上発。乗る列車はもちろんロングシートの「極悪電車」、「地獄の701」である。私は「この電車最悪やろ?」と、必死にO氏に同意を求めようとするが、O氏は何とも感じていなかった。2両しか連結されておらず、昼間なのに超満員。ひどすぎる。もっともここで乗るのは3駅間だけであるが。
14:07 O氏念願の!「水沢」駅に到着。赤井が、バックパックを背負って、風鈴が猛烈にぶら下げてあるこの駅のホームに降り立ち、「ヤッター」と言って、「みちのくや、ムーバで送る、夏の音」という句を、携帯電話を使って人に送る、というCMをやっていることで、O氏がここ水沢に注目したのだった。それと同じようなアングルで写真を撮ったりして楽しんでいた。
体調はだいぶ回復してきたが、まだテントで泊まれるレベルとは言い難い。それと、「津軽今別ショック」からまだ立ち直っていない。今日もまた天気がわるそう。そういう事どもを鑑みて、私は今日もYHとすることにした。目を付けたのは、これから行く平泉の駅から歩いて8分くらいのところにあるというなんとも好都合な、毛越寺YHというところである。ここで1時間も時間があったので、連絡を取って、予約を取りつけることに成功した。
15:04 水沢発。さらに3駅南の平泉を目指す。今度は4両編成で少しはゆとりのある車内であった。しかし、立派な東北新幹線が並行する大幹線の東北本線で、2両というちんちくりんな電車、しかもロングシートで、1時間に一本しか走らせないJR東日本の神経は、本当に理解できない。
15:21 平泉着。平泉といえば中尊寺である。そこに目指すべきバスがすぐに接続するはずだったが、15分ほど遅れてやって来ていきなり予定が狂ってしまった。
中尊寺まではすぐで、運賃も140円で済んだ。しかし、荷物を置いてこなかったために大変しんどい思いをすることになる。それというのも、本堂まで延々と坂が続いているからだった。坂の前の土産物屋のおばちゃんが、「荷物置いていかない?」と我々に声をかける。私は一瞬その誘いに乗りそうになるが、O氏は毅然とした態度をとる。こういう呼び込みに付いていくと、結果は目に見えているからだと言う。つまり、しょうもない土産物を買わされて終わり、ということだろう。
それにしても、こんなバックパックを背負って登っている奴は、我々以外には全くいない。ここで、O氏の話。「ほりいとマルセイユに行ったときは、これの20倍くらいの道のりだった」これはかなり大袈裟な話だったが、さらに「ドイツ人は、平気でバックパックを背負ってこういう道を歩く。駅から10キロというところでも、1時間くらい前に起きて平気で歩く」。そんなに体力があるのだから、日本人がスポーツをやっても、そんな人種にはぜえったいに勝てないな、と、話す。
中尊寺は金色堂以外にも見るところが結構ある。しかし、奥州藤原氏か何か知らないが、元々ここの由来とか、歴史的背景とかの予備知識がほとんどない状態だから、興味も薄い。バスが遅れたために、O氏は余り時間がない。最初、O氏は平泉の近くの適当なところで泊まると言っていたにも関わらず、急に気が変わって当初の宿泊予定地であった、北上から延びる北上線の岩沢駅から程近いところにあるキャンプ場まで行く、ということになった。北上線も東北線も本数が少なく、平泉発17:08のに乗らねば、キャンプ場に着くのが真っ暗な時間帯になってしまう。そういうこともあって、「当社比4倍(意味不明)の速度で見なければならない」とか言って、途中からは駆け足になったりもする。
金色堂の入場料は800円という高額であった。金色堂は、順路を回って同じところに戻ってくるようになっていたから、入口のところで荷物を置かせてもらおうと、入口のところに立っている係員に訊ねてみる。すると、その兄ちゃん、切符売りのところまで聞きに行って、なかなか帰ってこない。何をしているのだ、と思ったら、返事は。「ちょっと…。無理みたいです」なんでやぁー!!ただ置くだけなのだから当然可能だと思っていただけに、苛立ちが強かった。
金色堂は建物の中に保存されていて、中はガラスで囲われていた。800円とはこの「金色」を維持するための費用、ということなのだろうが、金閣寺ならもっと安いし、あっちの方が迫力がある。とんだ食わせ者だったが、平泉に来てここに行かなかったら何しに行ったのか分からないから、仕方ないのかも知れぬ。
16:45 下に降りてくると、バスが0分で接続していた。
16:55 R4は渋滞があったが、余裕で間に合う時間には平泉に到着。ここでO氏と別れることとなる。「東北ユースきっぷ」は私が持っているので、ここからはO氏が独自に切符を買わねばならない。きっぷ売場には「岩沢」駅への運賃は書いていなかったので、窓口で切符を買う。何と950円もした。O氏は当然「高いな」と嘆く。この駅は改札も全くせずに、私は見送りのために余裕でホームに入れた。
17:08 下り国電がやって来て、平泉駅を発車。ここからしばらく一人になる。何となくのんびりした気分になれた。
17:20 寺の門をくぐったところにYHはあった。いかにもYHらしい雰囲気のところであった。受付を済まして、部屋に通される。また、何でこんな遠いところにあるの、と言いたくなるほど遠いところであった。往復を繰り返しているうちに遠く感じなくなってきたとは言うものの。。
今度は洗濯機があることをパンフレットで確認したが、乾燥機がなかった。あとでよくパンフレットを見ると、乾燥機のマークがあるところとないところを見分けなければならないことが分かった。これで、また来た意味が失われたような気がした。洗濯はしたが、朝になっても乾くことはなく、旅行中に洗濯したのを着ることはできなかった。
その「洗濯」ができるまでの間、少しだけだがロビーでくつろいでいた。
夕食は無しにしてしまった。O氏がこの界隈で泊まるということだったのから、夕食は一緒に、と思ったためである。しかしこの展開。食うところはあるのだろうか。少なくとも駅周辺にはそれらしき店はなかった。さっき、和尚(ペアレント?)に聞いたところによると、門のすぐ外にある食堂は7時まで開いているということだったから、そこに行った。ここで、親子丼の軽い夕食をとる。
二日間風呂に入っていないので、今日はちょっと風邪気味だったが強引に風呂に入ることにした。風呂は狭い割には混んでいて、お世辞にも快適とは言えなかった。
下に降りると、そばにある食堂の方から、さっき少しだけ話をした大阪のライダーから声がかかる。「話に来ないの?」と。それにつられていってみるが、しばらくロビーにいてから行ったのでタイミングが合わずに、話の輪の中に入れなかった。というより、ライダーはおねえちゃんの方しか興味がない様子で、私は置いてけぼりであった。しかし食堂にはヘルパーなどもいて、少しだけ話をした。大阪の兄ちゃんはかなり明るい奴で、いかにも関西人といった感じ。ヘルパーの兄ちゃんは、東京の大学のユースホステル部に所属しており、交替で一週間程度ずつヘルパーを勤めていると言う。また、大阪の兄ちゃんの話によると、今日の宿泊は、3軒に断られてここに電話したのが4軒目だったという。昨日の話でも、YHは混んでいるということであった。東北程度なら当日予約で十分、とたかをくくっていたが、やばかった。今日もそうだが、もし昨日取れていなかったら、と考えるとぞっとした。熊本のときは春だったから旅行シーズンでなかったのが功を奏していたのかもしれない。
明日は7時01分の下り列車に乗って、岩沢駅でO氏と落ち合うこととなっている。洗濯物のこともあるし6時には起きたい。が、昨日二日分寝たこともあって、なかなか寝られなかった。
4:50ごろ 7:01平泉発の電車に間に合うために早起きをせねばならないと思ったら、この時刻に起きた。これでは早すぎるが、心配でもう寝られない。せっかくだからもっと早くのに乗っていけるか、と思ったが、下りはこれが始発で、いくら早起きしても予定通りにしか行けないことが分かった。
洗濯物は当然乾いていない。最後の手段、ということで、扇風機を回して、そこに洗濯物をはり付ける、ということをやったら、一瞬でかなりマシになった。最初からこうしておけばよかった。
6:20 だいぶ前に買って、津軽今別での風雨にも耐えたカロリーメイトが今日の朝食となる。
6:45 出発。駅までは10分とかからなかった。駅舎のど真ん中でSTBしてる奴発見。
7:01 平泉発。盛岡行きの普通電車はもちロングシート。この界隈の電車は全てこれなのだろう。全くどうしようもない。駅毎に客がどんどん乗ってくる。
7:34 北上着。ここで6分停車。盛岡着が8:34でちょうど通勤時間帯であるから、ここで増結があるのか、と思ってみていたが何もなかった。
7:47 ここで未乗の北上線に乗り換える。新型のキハ100だった。2両だが、もちワンマン。
8:11 岩沢着。ここでO氏と落ち合う。
O氏の方は、昨日も雨で大変だったらしい。又、キャンプ場には他に一人しかおらず、その一人というのが帯広に「左遷」されたライダーで、帰省で東京に向かっている人だということだった。結構楽しくやっていたみたい。
私の方は、昨日「ビーチボーイズ」を見た、と、今ホットな話題を持ちかける。O氏は、新聞のテレビ欄であらかた内容を知っていたらしく、軽く話しができたが、それ以上その話題で盛り上がることはなかった。
今日はまず、「温泉のある駅」、ほっとゆだに寄ることが目的。北上線は、ダム湖などが横たわっていて景色のいいところがあった。
8:31 O氏念願の「ほっとゆだ」駅に到着。乗客のほとんどはこの駅で降りた。次の下り列車までは2時間40分も時間があるため、後の予定が圧迫されるという欠点があったが、それでもいい、ということで決行となった。
当然風呂に入る。入湯料は200円。入場券があればタダか、と思っていたが、いっちょまえに金を取るようだった。O氏曰く。風呂に入るには1時間はいる、とのことだったが、私は元来風呂にはあまり興味が無く、昨日入ってきたから、一応入るがちょっとだけ入ってとっとと出てきた。
この温泉に、この近くにある保養施設(?)の「あなゆっこ」の求人広告があった。それを見てO氏は、意味なく「ああ、あなゆっこに就職したいな」と、戯言を言った。さらに、NTTを受けたがその後の結果がどうなったか分からない、なかのが、いきなり「オレ、『あなゆっこ』に決まってん」と言ったらおもろいな、などとも。。。
ここに来てようやく天気がよくなってきた。今日は太平洋側よりも日本海側の方が天気がいいようだ。天気図を見たわけではないが、前線が東北地方に東西にかかっているらしい。今日はさらに南下するので天気がいいことが期待された。
11:10 ほっとゆだ発。今度はここで客が降りることもなく、ボックスには座れなかった。途中の駅で降りる客も全くいなかった。
11:44 北上線を完乗し、横手に着いた。横手は駅弁も、コンビニも、店を探す時間もなく、何も買えなかった。空腹をアイスクリームでごまかすことにして、そのままロングシートの快速に乗る。
11:56 横手発。この列車は、秋田から山形までのロングランの快速「かまくら2号」だが、当然の如くロングシートで、名前負けしているといっても過言ではない。この「国電」は、速度は速いのだろうが、とにかく車内設備があまりにもお粗末すぎる……。
12:43 及位(のぞき)着。この難読駅名の駅名標をぜひとも撮影したい!と思った私は、前方に見える駅名標を、ガラス越しに、動いた時に撮ろうと構えていたが、うまく行かなかった。正面に移動して撮らねばならなかった。国電型だから特に恥ずかしいからと、中途半端な行動に出て、余計恥ずかしい思いをしてしまった。
さらにこの車内では、O氏としょうもない議論のために険悪な雰囲気になった。
13:21 新庄着。接続時間は4分なので余裕だが、その嫌な雰囲気を断ち切ろうと、ダッシュで陸羽西線のホームへ行こうとしたら、時刻表を忘れてしまうが、O氏に拾ってもらった。
この「JTB時刻表」は私の「存在意義」とまで豪語してしまい、荷物になるにもかかわらず、わざわざ大判のものを持ってきたのだが、船やバスに乗るのに大いに役立った。
陸羽西線の普通列車は、何と、未だにクーラーなしの列車であった。しかも気動車のため、窓を開けると熱気が車内に入ってきて猛烈に暑い。いままでがクーラーの効きすぎで寒かっただけに、落差が大きかった。
13:25 新庄発。接続がよいときには、いい席にありつけないという法則は成り立っていた。しかも私の周りのボックスに座っている連中には、いずれも最後まで乗り通されてしまった。皆観光客だったのか?
ここは、全線明るいうちに乗ったことがないという、いわゆる「準未乗区間」である。しかし今回これでじっくりと景色が見れて、本当の意味での「既乗区間」とすることができた。陸羽西線は最上川に沿って走る路線で、その最上川を下る川下りの観光船が見える。天気は晴れていたが、川は昨日までの雨のために濁っていた。
14:21 余目着。ここで少し時間がある。気動車内だけでなく、外でもかなり暑くなってきた。私は今まで寒かったから長袖を着ていたこともあって。
以前ここで降りた時には夜遅くて何もしなかったが、今回改めてまともな時間帯に来てみても、駅前は本当に何もないところでどうしようもないことを確認。何も買うことができない。
14:40 次に来た普通も、さっきと同じ形式のクーラーなし気動車だった。
14:55 クーラーなしはごめんだ、ということで、一本飛ばして「いなほ」にした。ちなみに、この「いなほ」は、一昨日私が乗って風邪を引いた因縁の「いなほ12号」で、使用車両は一昨日のとは違っていて、6号車の自由席のクーラーはあまり効いておらず、暑いくらいであった。助かった。。
横手、新庄での「好接続」が祟って、未だに昼食が取れない。ここでの車販を期待したが、来る気配はない。O氏がどこにいるか探しに行ってくれるが、結果はサンドイッチ以外は既に全て売り切れで、何も買ってこなかった。サンドイッチでもいい、と思っていたが、その車販が我々のところにきたときには、そのサンドイッチさえも売り切れでどうしようもなかった。
車販探しのために喫煙車両も突っ切ってきたO氏が「喫煙者、禁煙車と分けるというのは素晴らしいシステムだ。喫煙車両は凄まじい煙だ。喫煙車に座っている連中は、自分らの出す煙を吸い込んで勝手に肺癌になってくれ、って感じや」とのこと。私も全く同感である。
今日の宿泊地は具体的には決まっていない。というのも、羽越本線沿線の海岸沿いの駅前にキャンプ場がある、ということは掴んでいるが、そのキャンプ場というのが、「マップル」で、キャンプ場のマークが付いているだけで名前も何も書かれていないところばかりだったのだ。そのためにどんなところかさっぱり分からなかったから決められなかったのだ。一応降りる予定にしていたところは、この「いなほ」も停車する府屋の一つ先の勝木(かつぎ)駅であるが、余目以上に何にもないことが予想されて、今日の昼食(もう「昼食」と言える時間ではないが)や夕食の調達が困難であることが予想された。それに、降りてどうしようもないところだったらかなりやばいことになる。そこで、一旦村上まで行きすぎて特急車内から眺めることによって見当をつけようということにした。村上では駅前にローソンがあることを知っていたから、確実に食料は手に入るし、一石二鳥である。問題は、キャンプ場に着く時間が遅くなる、ということである。
海を見ていると、波打ち際から数十mの距離の砂浜の上にテントが林立している様子が目立った。O氏は「こんなところで本当に寝るつもりなのだろうか。やばいで」を連発する。もしこんなところしかなかったら確かにかなりやばそう。
16:05 村上着。この駅前ローソンも何故かほとんど売り切れだった。残りわずかの食べ物を買って、私は軽く食事をする。待合室で列車を待っていると、日焼けをした若者が多く通り過ぎる。それを見てO氏、「この辺の奴等、海水浴しすぎ」。新潟県は日本一海水浴場の多い県である。
天気予報を聞いたところによると、今日も降水確率は50%となっていた。また雨だ。それを聞いたO氏は、もうテントを張るよりも、STBした方がいいのではないか、という意見を提示。これは、私のことを考えての意見であった。確かに雨の中ではごめんであるが、STBというのもどうなのか?
16:39 村上発。又クーラーなし。ロングシート車両に乗る。空いている時は、ある意味こっちの方が快適かもしれない。寝れるし。。
下り線は、上り線とは違ってかなり長い間海を見せてくれ、「ビーチボーイズ」の第一話の例のシーンを撮れそうなところ目白押し。それとともにキャンプ場も見せてくれる。。その間駅も含めていろいろ品定めしていた。
17:07 今川駅着。ここで下車する。結局特急車内から目星を付けた、この駅からすぐのところにあるテントサイトを目指す。
ここには管理人のおっちゃんがいて、聞き取り困難な会話で、有料だが一人250円であることが分かった。場所はかろうじて一つだけ空いていた。これがなかったらどうなっていたことやら…。
このテントサイトは砂浜ではなく、築堤の上を走る道路の下にある。7m以上の波が来ない限り大丈夫である。その道路には「高波注意」の看板があった。
ここにきった途端また天気が悪くなってきた。結局青森にいた時以外は一度も晴れることがなかった。
そして設営。2泊余分の泊まっただけあって、「持ち主」の私以上にO氏の方が、このテントの勝手が分かっていて段取りが良かった。
テントを立てたあと、ビールを買って、夕食を取るために、近くの砂浜まで出向き、軽く「ビーチボーイズ」気分に浸る。雲に隠れながらも、夕日が見える。沖合いには島が浮かんでいる。あれは佐渡島か、という議論になったが、帰ってから調べると、粟島という島であることが分かった。ものすごく環境のいいところである。もっと早く来ておけば、もっと天気がよかったらなあ、と思う。
この旅行が終われば、夏休みは終わりで、あとは研究に打ち込むことになるだろう。旅行中は辛いことばかりで、早く帰りたいと思っていたが、帰るとそういう「現実」が待っている…。
この砂浜にもテントが張られている。もちろん堤防のすぐ側のできるだけ高い位置に張られているが、満潮になって波が高くなるとどうなるか分からない。今でもかなり波は高く、1.5Mくらいはある。もう夕方でほとんど人気はないが、まだ家族連れが海水浴を楽しんでいる。この高波の中、かなり危ないのではないかと思われた。
19:30ごろ テントに入って、明日どうするかを相談する。テントの中は相変らず暑い。このテントの定員は二人だが、「3人入ると酸欠の恐れがあるので入らないように」との注意書きがあったらしい。それだけ密閉されてしまうということのよう。この暑さは人いきれのせいであろう。それと、入口の反対側が開かず風が通らないことがその原因であることが想像される。
夜になっても雨はしばらく降らなかったが、遅くに雨が降り始めた。さらに風がまた強くなってきた。今回は独りぼっちのテントではなくて、周りにもテントがあるとは言うものの、我々のテントは小さいために隣のテントと間隔は開いていて、隣のテントが風除けになってくれない。
津軽今別での悪夢から立ち直れない私は、又寝られなくなった。また、ここでもクルマと羽越本線の貨物列車の音でうるさかった。これらの原因が複合してやっぱり寝づらかった。
9日目(1997.8.13(水))、Max&「青春18」での帰路
5:00 目覚める。いくら早く起きても帰れる時間に変化はないのだが、これ以上は寝られなかった。
ここで、宿泊に関する総括。テントを買ったのはいいが、テントでの宿泊は、とにかく寝られない!ということが判明した。「これがあればどこでも泊まれる!」と豪語した私であったが、全然甘かった。やっぱり少々高くてもYHに泊まった方が寝られた。将来的にも、このテントを有効活用することができるかどうか、甚だ疑問である。私はこの旅行中に、O氏に「このテント売るで」と持ち掛けてみたりもしたが、「登山用の、−30℃,風速30m/sに耐えられるテントを買うから要らん」と、断られてしまう。
「ああ、金かかると思ってたけど、こんなに安く旅行ができるとは思わなかった」と、私とは対照的に、O氏はこのテントでの旅行に大いに満足していた様子だった。
朝から雨。「ほっとゆだ」駅で傘を忘れてきたことに気付いた私は、もう雨に抗する術を持ちあわせていない。そういう訳で、どういうことになるのかと憂鬱な思いでいっぱいだったが、撤収の時間帯は雨量も少なかった。
6:40 10分足らずで撤収して、駅に向かう。駅までもわずかに5分という「好立地条件」であるが、このキャンプ場に来るのにクルマを使用していないのはもちろん我々だけであった。。
6:45 駅に到着。時刻表があった。片道一日8本しかないことを確認する。
荷物を置いて、もう一度防波堤の上から海を眺める。砂浜を見ると、海草がかなり陸地側まで迫ってへばり付いており、海水が到達した範囲を知らしてくれる。その最先端からテントまでは30mくらいしかない。かなりやばいところ。私などは、高い波の音がして、ひょっとしたらここまで来るのではないかと不安になったくらいだから、とてもそんな状態で、砂浜にテントを立てるなぞ、できなかったに違いない(しない方がいい!と思うのだが)。
7:12 駅でバシバシ写真を撮って、今川発。新潟に向かう。ここで来たのは新型車両のキハ110系だった。100系と外見はほぼ同じだが、クロスシート部分が2&1になっている。なお、クロスシートの座席定員は100系と同じ24人であった。しかし、涼しくてクーラーのいらない時間帯に、このクーラーの付いている列車が来る辺り、サービス無視が身上のJR東日本の面目躍如、といったところだろうか。嫌がらせとしか思えない(たまたまそういう巡り合わせになっただけなのだが)。
O氏は、今日の3食をすべて駅弁にする!と、張り切っている。が、村上にも駅弁はない。村上から乗る予定だった「いなほ2号」は、朝一の速達版で、昨日の様子を見ても座れない可能性が高い、ということだったのと、新潟で暇を持て余すかもしれないということで、この列車の終着、新津まで乗り通すことに「してもらう」。これで、羽越本線の未乗区間である新発田−新津間を乗り潰すことができるのだ。
7:34 村上着。意味もなく、窓越しに駅名標を撮影。その後、坂町、新津でも同じ事をする。
新発田からは未乗区間だったにもかかわらず、ここで睡魔。半分寝てしまっていた。
8:54 新津着。O氏は早速駅弁を購入。「雪だるま弁当」を買っていた。非常に満足そう。
新潟行きの快速は、磐越西線からの直通列車で、2両編成の気動車だった。当然席は埋まっていたが、新潟までは15分である。駅弁を食えないのでO氏は不満そう。つぎのを待つか、と言ってみるが、つぎのも同じような感じだろうということで、これに乗る。
9:15 新潟着。「Max」発までにだまだだいぶ時間がある。駅で写真を撮って、駅弁屋を探す。O氏はここでお土産を買いに走る。駅弁屋は、新幹線の出口で、在来線の改札内に、かなり大きなところがあった。ここではあらゆる種類の弁当が揃っていた。新津でしか買えない、と思っていた雪だるま弁当もしっかりと置いてあった。
ここで、私も調子に乗って、鮭の押し寿司と、鮭はらこ弁当を買った。東海道本線沿線ではろくな駅弁がないということで、ここで夕食の分までを買ったのだった。これで、いつものように大垣まで空腹状態で妙、苦労して大垣にたどり着いたときには店がことごとく閉まっていてどうしようもなく、家に着くまでポテトチップスで腹をごまかす、という生活はしなくて済む。
9:45 「Max」発車まで一時間以上も前に、新潟駅の新幹線ホームに上がる。さすがにまだ「Max」を待つ客はいない。
新幹線のホームは16両編成が止まれるほどの長さ、それに幅の広いホームが二つある2面4線の巨大な駅。発着する列車も一時間に一本強しかないから、ホームは閑散としている。こんなでかい設備いらない、としか思えない。また、どちらの方向が東京なのか、最初勘違いしていた。というのも、さっき新津からやってきた方向と反対方向へ向けて、新幹線は延びているのだった。
入線時刻の10:20が迫ってくると、並ぶ客が徐々に増え出した。「Max」目当ての客が多いのか、子供連れが目立った。
10:20 全車二階建ての「Max」が入線。12両編成であるが、それにしてもでかい。猛烈にでかい。待ちかねたので早速座りたかったが、車内清掃があるから待ってくれとの放送が。まあいいか、と思って待っているが、猛烈に待たされる。
ここで、「Max」の名前が「Multi Amenity eXpress」の略称だということが分かる。取ってつけたような感じであるが。
10:40 結局乗れたのは発車10分前。「看板列車」にこんなに直前でしか乗せないというのは、ダイヤ編成がおかしいのではないか。
「Max」の自由席の2F席は、何と3&3だった。通勤新幹線で使われているようで、リクライニングもできない。また、最初3人席は回転しないから要注意、と思っていたが、それは何とかなっているようだ。
10:50 新潟発。東北新幹線に乗った今、この上越新幹線が、最長未乗線区となっている。当然、ぞくぞくした期待感が膨らむ。この「Maxあさひ」は越後湯沢まで各停で、通過する駅は上毛高原と熊谷しかないというほとんど各停の速達列車である。
早速駅弁を食う。「Max」に長いことお預けを食らっていたため、広げられなかったのだった。朝はパン1だからちょっと早いが腹減っていたのでここで昼食となった。「鮭はらこ飯」の方を広げた。鮭、いくら、しいたけの煮付けがご飯の上に敷き詰められていて、お預けを食らっていたことも手伝って猛烈に旨かった。もう少し飯の量を増やしてほしいところではあったが。
長岡を出た辺りから、「世界初の地下新幹線か」と思わせるほど、ずーっとトンネルばかりの新幹線だった。あとで見ると、トンネルばかりというよりも、スノーシェルターで覆われている区間もあって、連続的に真っ暗な区間が続くようである。
「朝日新聞ニュース」の電光掲示で、東海道本線の沼津付近で列車衝突事故があった、と流れた。もし今だったら、不通、ということになって、今日中に帰れないという憂き目にも遭いかねないと思ったが、昨日のことだった。
13:00 当「Max」は、越後湯沢までは各停。燕三条や、「田中角栄のためにできた駅」、浦佐にも丁寧に停車する。越後湯沢以遠は本数が少なくなるためにこうしている。やたらと停車駅が多かったが、それでも東京にはあっという間に着いた。
「Max」についての感想は、確かに陳腐な200系に比べると新型車両の風格があって、その点ではよかったが、基本的には通勤車両というコンセプトで造られただけあって、車内設備は貧弱だった。これはO氏の評価でもあった。外観は派手で、2階建てというものめずらしさで売り出しているが、その割に中身は大したことなかった。「看板列車」の前言は撤回する。
東京駅のホームは人間でびっしりと詰まっていた。これがあの、テレビのニュースでよく見る帰省ラッシュか、と思うと思わず写真を撮りたくなった。私はミーハー?!
まずは新幹線の出口を出る。ここで「東北ユースきっぷ」を取られるかと思ったがそうではなかった。本当の出口を出た時に取られるらしい。それも、当然八重洲ではだめで、丸の内口から。
丸の内口では、岩倉高校の実習生が改札係をやっていて、完全に混乱していた。東北ユースきっぷをここで明け渡し、これからは「青春18きっぷ」の客になる。
13:26 東京駅では1時間40分も時間があったが、ここにいててもしょうがないということで、一本早い快速「アクティー」に乗る。「15両」ということで嫌な予感がしたが、それが的中。全車2階建てではなく、211系であった。「湘南篇」などを見ると、「アクティー」は10両編成のしかないそうだから、勘が的中した、というわけだ。
前の方はロングシートのお粗末な車両だったが、我々の前に来た車両はボックス式だったので、これに乗ることにした。東京駅は暑かったから。。
13:40 東京発。東京にいてる間、私は得意気に「ああ、こんなとこに住みたない。」を、連発。O氏も、「ここは人の住むところではない。ここに住んでる人、かわいそうやな」と言う。来年から関東の人間になるというのに。もっとも、さっき丸の内の本屋で調べたところによると、O氏の勤務地(になる可能性が高い)は、小田原にかなり近い山の中であることが分かったから、「東京」に住むわけではないが。この旅行中もO氏は時々「関西の会社にしておけばよかったかな」という言葉を吐いたりしていた。
15:11 熱海着。乗り継ぎ列車は3分接続にもかかわらず、ホームが違っていた。しかも乗り継ぎ列車はロングシートの3両編成だった。15両の列車からの乗り継ぎ列車とは思えない。輸送力5分の1である。もちろん超満員で立錐の余地も無い状態。それを見て全く乗る気がしなくなったのでパス。ちなみに、さっきのパッチもん「アクティー」の中で、我々のそばにいた自転車ツーリスト×4のうちの1人が、この列車に乗り損ねてしまう。
次の列車は15:51発であるが、31分には入線してくることを掴む。
上りのホームを見遣ると、旧式の113系でありながら、堂々と「アクティー」と名乗っている電車を発見。使用車両が全く違うのに、同じ名前を使うのは止めてほしい。まるで、「レッドエクスプレス」を使用した「ソニック」のようである。
15:31 問題の列車が入線。何と、これも6両編成ではあるがロングシート。私はO氏がロングシートを猛烈に嫌っていると思っていたから止めとこうと言ったが、O氏はどうでもいいらしく、それに乗った。
次ので行っても到着時刻に何ら変わりがないのだが、それをO氏に告げると、「金を下ろしたい」ということで列車を明け渡して熱海駅の改札を出た。
熱海駅は観光シーズンで人でごった返していた。相変らず陳腐な観光地、というイメージしか持ち得なかった。金を下ろした銀行は、スルガ銀行であった。
16:08 2列車連続でロングシートが来たので、だんだん不安になってきた。日によって使用車両が違う恐れもあるからだ。だが、いつもの通りの湘南電車が7両でやってきた。熱海駅での一時間も、ぼーっとしてたら簡単に過ぎたが、今日は1日かなりもったいない時間の使い方であった。
16:14 いつもの通り、全車二階建て車両の「アクティー」と3分で接続して、熱海を発車。これは私の愛用ルートである。浜松で1分、豊橋で3分、大垣で18分、米原で9分の、「例の」やつである。
後で調べたところによると、このルートは東京−大阪間の「大垣夜行」を使わない、普通列車の最短乗り継ぎ方法であることが分かった。その所要時間は8時間19分、「大垣夜行」を使うと、上りだと7時間42分となる。そう考えると、この接続があまりによすぎるから、他のが悪く見えるだけなのかもしれない。
沼津は、何事もなかったかのように通過して行った。O氏も注目していた富士山は、最初全く見えなかったが、後半うっすらと上の部分だけが見えた。この車両もクーラーの吹出口の前に座ってしまって、寒かった。
腹減ってきた。この方法では、腹減る時刻は大概静岡県内を走っている時である。その時に飯が食えない。今日はそのことを見越して弁当を買ってきているが、茶がない。
18:41 浜松着。ここでは一分接続。同一ホームなので、素早く自動販売機に走って茶を買って乗り継ぎの満員の国電に乗り込んだ。これは私の作戦で、O氏もそうしたが、缶の上部がひしゃげているとんでもない茶を買ってしまっていた。7両→3両と間引かれた上ロングシートで、いつものように超満員。
18:42 浜松発。いつもに比べてツーリストが多いような気がしたのは、私だけだろうか。春と比べると日没が遅い。いつもなら浜松手前で暗くなって外が見えなくなるが、今日は浜松を出たところで暗くなった。。
19:13 直前まで座れず、豊橋着。ここでは相変らず跨線橋の上り下りをさせられる。乗客は一斉に跨線橋を駆け上がって隣のホームを目指してダッシュする。3両→8両だから、座席には余裕であり付けるはずなのだが皆ダッシュする。何故ここでいつも焦って走らなければならないのかと言うと、浜松からの電車が大概遅れてしまうからだ。そのおかげで、ただでさえ3分しかないのが、2分、1分になってしまい、当然走らなければならなくなる。今日も一分遅れている。ここで茶を買うことにしなくてよかった。一体どういうつもりで、同一ホームにしないのだろうか。JR東海のことだから、わざと乗り換えを不便にさせて、新幹線に乗ってもらおうとしているのかも知れぬ。
19:15 豊橋発。念願の駅弁。私は鮭寿司。O氏に「君、野菜食べないね」と、クリティカルな突っ込みを受ける駅弁でもあった。
ここからは念願の「新快速」。ゆったりとした空間で、駅弁といただける。至福の喜び。もっとも120`運転の本領を発揮して、揺れも激しいが。
クロスシートを4人掛けにして向かい合わせにして座るが、声が通らない。今までのボックスよりもシートピッチが長く、ゆったりとしている証拠である。
20:35 一人でいるときでもかなり速く感じるが、二人でいるからなおのこと速く感じて、大垣に着く。東海道本線の接続の悪さに対する怒りをぶつけるために、空缶を車内に放置する。
20:53 ここでの18分の時間は、いつもなら猛烈に長く感じられるところだが、あっという間に発車時刻が来て、大垣発。O氏は停車する各駅を観察し、STB可か、無人駅かどうか、ということをチェックしていた。
21:27 米原着。汽車時代そのままの低いホームに降り立ち、長浜始発の新快速を待つ。新快速の姿はない。待ち構えてくれると思っていたのに。
21:34 新快速が入線。
21:36 米原発。通算7度目の3671M。
もう、終わりが近づいてきている。帰ると現実が待っている。最後に何か会話をしておかねば、と思うが、既に会話の話題は尽きていた。
22:29 京都着。最後に写真を撮って別れた。京都駅は以前と全く様相が変わっていて、近くの跨線橋を上がったところに改札口があった。
22:36 京都発。41分発だと思っていたが、いつのまにかダイヤ「改正」されていた。いつもより5分早くなる。
22:50 山崎着。
22:56 大山崎着。
22:58 水無瀬着。
23:05 家に到着。ああ、しんどかった。